「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2020年1月24日 更新

#9

バブルに乗れなかった男。

脇坂肇

いわゆるバブルを体験したことのある方って
どのくらいいらっしゃるのでしょう。
ほら、一万円札をかざして
タクシーを停めようとするみたいな。
私はリアルタイムで
そんな光景を目撃したことがあります。
場所はススキノでした。
そう、私はいわゆるバブル世代にあたるのですが、
不思議なことに
ぜんぜんバブルを味わってはいないのです。
しかも、80年代後半のザ・バブル以外にも、
これまで各方面でさまざまなバブルがあったわけで。
私の属する建設業界でも、
いわゆる「倶知安・ニセコバブル」が起きました。
そのすぐ近くに身を置いていたにも関わらず、
私はそのバブルも味わえなかったんですよね。
いや、正確にはバブルに触れてはいたんです。
指先でちょっとだけ…。

さかのぼること1990年代のこと。
脇坂工務店は設立3年目あたりから、
実はログハウスの建設を手掛けていました。
当時ログハウスってそこそこ人気がありました。
男の憧れ、みたいなイメージでしょうか。
脱サラしてログハウスのペンションを始める人が
増えたのもこの頃だった気がします。
フィンランド生まれのログハウスブランドがあり、
縁あってそれを知った私たち。
倶知安やニセコといった保養地だったら
ニーズがあるんじゃないかと思って始めてみたのです。

しかし、始めてみたものの、
年に1、2棟くらい引き合いがある程度。
しかもそのログハウス、
カットされた木材など資材一式がコンテナに積まれ、
フィンランドからまとめて届くのです。
工程上、最初に使うものでも最後に使うものも、
一切合切まとめて、です。
つまり、ログハウスが完成するまでに
大量の資材を置く場所が必要だ!
ということで、その保管用に 倶知安町の街中に中古の倉庫を購入したのです。

しかしながら、
5年ほどログハウス事業は続けてみたものの、
そこまで動きがあるわけでもなく…。
今になって思えば、なんですが、
ログハウスってどちらかというと男性が好きで、
女性はあまり好きな人いないんですよね。
一方、家という商品を建てるにあたって
主導権を握るのは女性なわけで…。
そんなこともあって、
ブームが続かなかったのかなと分析しています。

当時の当社の主力事業はリフォーム事業で、
年間800件ほどの実績がありました。
かたや、木造新築は年に数棟という状況。
だったら、木造建築に注力したほうがいいと判断し、
事業の撤退をスパッと決めたんです。

それに伴い、ログハウス資材の保管場所だった
倶知安の倉庫を売ることにしました。
当然もう必要ないと思ったからです。
買ってくれたのはオーストラリアの方。
倶知安・ニセコエリアでコンドミニアムを
手掛けている会社の経営者です。
なんでも、コンドミニアムで使う
家具などの置き場を探していたとのこと。
ふーん、外国人向けのコンドミニアムか、
そんなビジネスもあるんだなぁ
くらいに思っていました。

「よーし、倉庫も売ったし、これで身軽だ!
木造新築をがんばるぞ!」
と思っていた矢先に何かが聞こえてきました。

ブク…。


ブクブク…。



ブクブクブクブクブクブク…!!!!!

そうバブルの音です。
(あ、比喩です)

そうです、倶知安・ニセコバブルが始まったのです…。

ご存知の通り、2019年の
日本の地価高騰率で倶知安町は全国一位。
今、ウインターシーズンに
ニセコのスキー場界隈を訪れると
異世界に紛れ込んだような錯覚に陥ります。
見渡せば外国人ばかり。
世界に名だたるリゾートホテルが
続々と進出を決めています。
まさかこんな状況になるなんて
日本人は誰一人想像していなかったのでは
ないでしょうか。

思い返せば、昭和の元祖?バブルの時、
私はサラリーマンでリフォームの営業をやっていました。
しかも今で言うブラック企業。
1ミリも、いや1バブルも
恩恵にあずかれなかったクチです。
しかし、今回の倶知安・ニセコバブルでは、
かなりバブルに近い距離にいたわけです。
それなのに…!

バブルを横目に、
っていうと羨ましそうですね。
ぜんぜん羨ましいと思わず、
ぜんぜん1バブルも羨ましいと思わずに、
ログハウス事業を手放した私たちは
札幌での新築事業に本腰を入れはじめます。

とはいえ、札幌はハウスメーカーや設計事務所、
工務店がひしめき合う激戦区。
そこでなんとか生き残ろうと、
「建築家とつくる家」をコンセプトに
「NEO DESIGN HOUSE」
というブランドを立ち上げたり、
建築家と交流を始めたり。
新しい試みに挑戦していきます。
また、お客さまからすれば
土地がないと話が始まらないってことで、
不動産の勉強を始めたのもこの頃です。
手前味噌ながら、ものすごく勉強しました。
倶知安・ニセコの熱狂をよそに、
筋肉質な企業になるべく、
せっせと自分たちを鍛えていたわけです。

他にやったことといえば、
ホームページのアクセスを伸ばそうと思って、
ラジオに出始めました。
その甲斐あってか、
WEBで「北海道 工務店」と検索すると
脇坂工務店は上位に出るように。
並行して、建築家の方との仕事実績も
コツコツとホームページに掲載していきました。

すると、2014年ごろだったか、
東京のとある有名建築事務所から突然連絡が入ったのです。
業界ではその名が轟くような事務所からです。
「今度ニセコで家を建てるんだけど、手伝ってくれないか」
というオファーでした。
最初はちょっと怖かったというか、不安でしたね。
自分たちの技術が通用するのかどうか。

しかし、想像以上にその案件は上手くいって、
自分たちの技量も通用するんだと自信を持ちました。
クライアントも喜んだし、建築事務所からも評価された。
で、これをまた施工事例としてWEBにアップすると、
他の設計事務所からも
「うちもニセコで建てるから、施工をお願いしたい」 とオファーがくるようになったのです。

今、倶知安・ニセコエリアに家を建てたい方は
海外の富裕層が多く、目が肥えていらっしゃるので、
要求レベルも高いです。
ちなみに、
とある国のお客さま、ものすごい大富豪の方から、
「出来上がりを見るまで、お金は払わない!」
と言い張られたことがあります。
なぜかというと、
その方の国では工務店のクオリティに
かなりのバラツキがあるらしく、
とんでもない工事をされた経験が
幾度となくあったとか。
だから、自分の目で完成状態を確認しない限り、
支払いたくないと。
なるほど、お気持ちはわかります。
で、私たちがお手伝いした物件はどうだったかというと…。
そのお客さまは大喜びしてくださいました。
こんなに素晴らしい仕上がりになるなんて!と。
あの時はシビれましたね。

聴くところによると、
本州などの設計事務所は
北海道の工務店を探している状況のようです。
設計の依頼自体は本州の著名な建築家に
それこそ世界中からオファーあるものの、
それを実際に形にしてくれるプロを探していると。
北海道は本州と違って、積雪寒冷地。
どうしてもノウハウが必要となりますからね。
最近は福岡にある超売れっ子の設計事務所からも
声をかけていただきました。
また、倶知安・ニセコで家を建てたい外国人と、
北海道の建築会社をつなぐコーディーネーターからも
声がかかるようになって、
継続的にこのエリアの仕事は進行しています。

こうやって、道外の皆さんと仕事をすると、
またそれも自分たちの勉強になって、成長できる。
そして、それをホームである
札幌や銭函の建物を建てる時に活かせる。
いい流れになっていると思います。

あのまま倶知安・ニセコを主戦場にして
バブルに乗っかっていたら、
どうなっていたんだろうって想像することがあります。
きっと危なかったんじゃないかなぁと思いますね。
まず札幌で生き残るための
努力をしなかったでしょうから。
毎日シャンパン飲んで、
文字通り泡まみれになっていたかもしれません。
危なかった!

また、このバブルに乗らなかった副産物として、
不動産の知識が増えたということがあります。
申し上げた通り、生き残るために必死に勉強したので。
変な話、私一人くらいなら不動産の仕事だけで
食べていける気もしています。
建築の仕事って、動くお金は大きいものの
意外と利益が薄いですからね…。
でも、建築業をやめるという発想にはならない。
自分が始めたことですし、
いっしょに続けてきた仲間もいます。
何より信頼してくれるお客様もいますから。

こうやって、これまでたどってきた道を眺めてみると、
すべてのピースがかみあって、ひとつのストーリーとして
つながっている感じがものすごくします。
バブルには乗れなかったものの、
再び自分たちが倶知安・ニセコに舞い戻るなんて
人生面白いものですね。

さてさて次のバブルはどこで起きるのでしょうか。



…ブク。


ん、何か聞こえた気がしましたが、
空耳ですよね、きっと…。

脇坂肇