「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2020年2月21日 更新

#10

「52歳」の謎。

脇坂肇

「52歳」
私にとって大きな意味を持っていた年齢です。
きっかけは、ある人から言われた言葉でした。
初めて耳にした時はピンとこなかったのに、
年齢を重ねれば重ねるほど、
私の中でじわじわと重みが増していったのです。
今回お話したいのは、「52歳」にまつわる
尊敬する先輩経営者の方とのエピソードです。
先輩シリーズ第1弾とでもしておきましょうか。
結果的に自分の生き方の指針になった言葉を
独り占めするのはもったいないので、
皆さんに少しおすそわけしたいと思います。

家を建てる仕事をしていると、
経営者の方と知り合う機会がけっこうあります。
やはり経営者の皆さんの多くが、
ご自宅とかセカンドハウスとかを
建てるからだとは思います。
Aさんとも施主さんとして知り合いました。
確か2000年前半くらいのことです。
Aさんからのご依頼は、
ご自宅と、そこに併設するドッグランを作りたい、
というものでした。
そうです、彼は無類の犬好き。
犬を育てるのが趣味で、
本業とは別に犬のことを色々されていました。
特にある珍しい犬種をたくさん育てられていて、
その業界では有名な方だったようです。

家を建てる過程でAさんとは仲良くなり、
竣工後も何かとお付き合いをさせていただきました。
よくススキノに飲みに行ったものです。
夜の街でAさんは、
なんというか余裕のある
立ち振る舞いをされるんですよね。
きっと若い頃ものすごく遊んでいたからこそ
醸し出せる雰囲気だったのでしょう。
カッコいい大人でした。

Aさんは1代で年商30億円ほどの会社を築き、
経営されていました。
しかも無借金経営。
私の会社はその10分の1くらいの規模だったので、
先輩経営者として尊敬の眼差しで見ていましたね。
色々学ばせていただいている、
そんな気持ちでAさんと接していましたし、
Aさんもどこか私を弟のように
可愛がってくれていた気がします。

そんな感じでAさんとのお付き合いが続き、
私が45歳、Aさんが56歳だった時、
あるお酒の席でAさんがおもむろに話し始めました。
「脇坂くん、老後の準備は52歳までにだぞ、公も私も。
わかるか?」

「え、何を言ってるんだろう…」
と思いつつも、
誤魔化すことを知らなかった
若かりし脇坂青年(中年?)は
「えっと…わかりません…!」
と正直に答えたところ、
Aさんは意味ありげに
「今に分かるから…」
とニヤッと笑い、グラスを傾けていました。
「不思議なことを仰るもんだなぁ…」
くらいに私は思ったものです。

その夜から月日が流れ、私は48歳になりました。
いわゆる年男です(ちなみに寅年です)。
そこでふと考えたのです。
「前回年男だった12年前は36歳だな…」
48-12=36だから、まあ当たり前ですね。
「36歳の時なんて、
2,3年くらい前の気がするけどな…」
と思いつつ、
「じゃあ次に年男になるのは12年後だから、
自分は60歳か…」
と考えた瞬間に愕然としました。
え、60…?
永遠の若手、ピチピチのメンズだと
思っていた自分が、このペースでいくと
あっという間に60じゃないか…、と。
この感じ、お年を重ねた方なら
きっとわかってくださると思います…。
ある時期から自分の体感年齢が、
一定のところで止まるけど、
実年齢はどんどん進んでしまう感じ、
とでも言いましょうか…。

最近でこそ、
時代の流れとして「60歳定年」は早い、
というムードが高まって、
社会のルールが変わりつつありますが、
当時は60歳=リタイアという認識が一般的でした。
え、もう終わりなの、オレ…?
と思ったことをよく覚えています。
ちょうど、
長男が家を出て、本州の大学に進学したタイミング。
脇坂家にぽっかり穴があいたような感じで、
人生の節目のような気持ちもあったと思います。

そこから私は、
「自分に何ができるんだろうか?」
と、真剣に考え始めます。
や、もともと真剣でしたが、
真剣さがさらに増したってことです。
残された時間は「12年」ながらも
体感的には「2,3年」ですから…。

そして決意して取り組んだ大仕事が、
オフィスの移転でした。
2000年に札幌から銭函に移転して以来、
ずっと海沿いにあったオフィスです。
銭函というエリアの人気が上がってくると、
お客さまからひっきりなしに、
「脇坂さんのオフィスみたいに海沿いに家を建てたい」
という声が多数寄せられるようになります。
じゃあお客さまたちにこの土地は譲って、
自分たちは少しだけ海から離れるか、ということで、
現オフィスがある銭函駅前に移すことを決めたのです。
15年ほど同じ場所にいたものですから、
要らないモノなんかも溜まっていて、
その整理・処分も含めて大仕事になりました。
さらに、ただオフィスを移転させるだけでなく、
オフィスの上層階を住居スペースにした
アパートとすることにしました。

無事に土地は取得でき、
あとは建築資金として
信用金庫から融資を受けることにしました。
が、なかなか融資のOKが出ない…。
銭函みたいなところに賃貸アパートつくって
需要があるのか、と思われたようです。
(ちなみに、現在はおかげさまで、
ほぼ満室が続いています)
とは言え、
信金の担当者も頑張って上に掛け合ったりしてくれて、
なんとか融資にGOサインが出ました。
その日付は12月16日。
なぜそんな日にちまで覚えているのかというと、
12月17日が私の誕生日だから。
しかも53歳の誕生日。
つまり、52歳の最後の日に融資が決まったのです。
公私ともに老後の準備がなんとか完了したのです。
気づけばAさんの言う「52歳」を、
ものすごく意識していた自分がいました。
最初はまったくピンと来ていなかったのに!

もろもろ落ち着いてからAさんとお会いした際、
「Aさんのアドバイス通り、老後の準備終えましたよ!
ギリギリ52歳のうちに!」
とちょっと誇らしげに報告したところ、
「え、オレそんなこと言ったっけ?」
と笑っていました。
あれ?
いつの間にか52という数字が頭から離れなくなって、
けっこう呪縛のようになっていたんだけどな…
と思いながらも、
今思えば、Aさんの照れ隠しだったのかもしれません。

そんなこんなで色々奔走していたら、
48歳を境に商売は徐々に上向いていきました。
私が48歳時点での会社の売り上げは3〜4億円程度。
それが52歳の時には10億円を超えました。
以来、10億円オーバーをほぼキープしています。

現在、Aさんは仕事をリタイアされて、
私がお会いするのも年1回程度になりました。
その代わりというか、
逆に私が年下の経営者と付き合う機会が
最近増えています。

経営に絶対的な教科書ってありません。
たとえば、企業経営をする上で金融機関との付き合いは
避けては通れないものですが、
その時の立ち振る舞いなんてものは
誰も教えてくれやしません。
社員との向き合い方も、
試行錯誤しながらやっていくしかない。
でも、それを教えてくれる先輩経営者がいるってことは、
なんと心強いことか。
だから、かつての自分にとってのAさんみたいな存在に、
私もなりたいですね。
自分が知っていることは伝えていきたいと思っています。

一見、今回のような先輩経営者の話なんて、
家づくりに関係ないように思えるかもしれません。
ただ、どんな生き方をするのか?
という一つのお手本にはなると思います。
家を建てることは、人生の話になり、
人生の話は、どう生きるかにつながるわけで。
私は仕事を通して、色んな人生を見てきました。
家を建てるということは、
言うなればお客さまの人生の1ページ、
いや数十ページに関わることになるのも
珍しくありません。
脇坂工務店は小さな会社です。
私、社長自ら営業に足を運びますし、
たくさんの人とのお付き合いもある。
その知見が自分には蓄積されていると思います。
いや、正確にはその知見は他の方のもの。
私はそれをお預かりして、
また別の方にリレーする、くらいに思っています。
Aさんから教えていただいたことだってそうですね。

「人生100年時代」とか
「老後資金に2000万円」とか、
なんだか騒がしい今日この頃。
自己防衛しなきゃって考える人も多いはず。
でも、老後準備なんて1,2年ではできないですし、
また、早すぎるなんてこともありません。
もしよろしければ老後のことも含めて、
脇坂にお話ください。
世の中、ネットに書いていないことなんて、
山ほどあります。
ひょっとしたら、G●●gleより、
脇坂のほうが情報見つかるかもしれませんよ…!

脇坂肇